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Lecture Series15. タニタハウジングウェア 谷田泰 氏 + 鯰組 岸本耕 氏

更新日:2023年12月24日



レクチャーシリーズ15 「木と金属の井戸端会議」

Speaker: 谷田 泰/ タニタハウジングウェア代表取締役 + 岸本 耕/ 鯰組代表

日時:2023年12月6日(水) 19:00-21:00

参加費:1,700円(ドリンク付)    

※町co場会員・学生は1,200円

※持込み歓迎

定員:18名程度

参加方法:FBイベントの「参加」ボタンもしくはインスタDMもしくは本ホームページフォームより

町工場や商店街に隣接したこの場所で「ものづくりとまちづくり」を切り口に、地域商工業のこれからを考える、隔月程度のレクチャー+交流会。

第十五回は、「雨のみちをデザインする」をキャッチフレーズに洗練された雨樋を製造する板橋区のメーカー タニタハウジングウェア代表取締役社長の谷田 泰 氏、そしてもう一人、「現代の大工集団」としてモダンかつグローバルに大工組織のあり方を実践する鯰組代表の岸本 耕 氏。

谷田さんが3代目社長に就任したのは38歳の時。当初の製品であった銅製や鋼製の雨樋が下火となる中、「ものづくりベース」から「ものの価値ベース」への転換が必要だと一念発起。

「雨のみちをデザインする」という新しいコンセプトを掲げ、建築家などとの関係構築・コラボレーションを通してシンプルで汎用性が高くデザインされた雨樋を生み出し続けています。

一方の鯰組、岸本さんが設計事務所ではなく大工集団を標榜したのは、そこにこそ最先端があると感じたから。ジャン・プルーヴェに憧れ、現代棟梁と呼ばれた田中文男の元で修行を積み、伝統を引き継ぎながら設計から施工に至るまでを職人がまとめ上げ創り上げる現代の大工集団を組織。かつてはここ要町に事務所兼カフェ「なんてんcafe」を構え、仕事場でありつつ地域拠点でもある場の先駆けでもありました。

さて鯰組の加工場はタニタハウジングウェア社屋の一角に入居しており、「広場(こうば)」と名付けられています。このネーミングには、会社や工場ということにとらわれない自由なコラボレーションが生まれてくる場になるようにとの意味が込められているよう。

金属関連の製造メーカーの社屋でありながら、そこにまた木の技術の「つくる」現場が共存しているというのは、何か大きな可能性を感じませんか。

二社の先進的取組みもご紹介いただきつつ、この

「広場」の今後についていろいろな空想を話し合う会になればと思います。

こんな人におすすめ

-建築やものづくりに興味がある

-雨樋や板金に興味がある

-大工や棟梁に興味がある

-ポストインダストリーに興味がある

-伝統を守りながらクリエイションが生まれていくことに興味がある

-工場が好き

参考URL

タニタハウジングウェア

鯰組


こんな人におすすめ

-建築やものづくりに興味がある

-雨樋や板金に興味がある

-大工や棟梁に興味がある

-ポストインダストリーに興味がある

-伝統を守りながらクリエイションが生まれていくことに興味がある

-工場が好き


【雨のみちをデザインする】

タニタハウジングウェアは1947年創業、もともとは銅製の雨樋をつくる会社だった。

創業者 谷田五八士の元、板金の圧延を扱っていた会社が雨樋をつくり(=タニタハウジングウェア)、シガレットケースを扱っていた会社がヘルスメーターを作る(=タニタ)ようになった。

谷田(たにだ) 泰さんは3代目である。



「雨は好きですか?」

谷田さんの話は、雨樋のイロハ的なところから。

日本最初の雨樋は奈良時代、それは漏斗谷という部分から集水し雨を集めるためのものだった。

それが現在のような出入りの際に雨がかからないようにするためのものになったのは江戸の大火後、建物の屋根が瓦葺になってから。



3代目として社長に就任した谷田さんが最初に着手したのが、価値ベースへの転換である。

比較的高価な金属製雨樋が安価な塩ビ製雨樋に押され雨樋メーカーとしての先行きが悲観視されていた当時、

谷田さんは建築家やデザイナーに向けてのキャッチフレーズ「雨のみちをデザインする」を掲げブランディングをしていく。


最近谷田さんが意識するのは「雨をひらく」ということ。晴れの日でもカッコよく見せるというだけでなく、雨の日の楽しみ方を提示できないかと、新しい樋を日々模索しているようだ。



【大工の定義を変えていく】

一方鯰組の岸本さん、大学時代は建築のデザインを志していた。

それがどうもピンとこないと思いはじめた学部二年の時に本で知ったフランスの建築家ジャン・プルーヴェ。

工房を持ち部材から作るデザイン事務所のあり方に最先端を感じ、「民家型構法」というものを提唱し実践する前衛的な棟梁 田中文男に弟子入りする。


その後独立、最初の仕事は古民家の移築だった。

「鯰」という呼称はこの時のお施主さんによる命名。

龍の遣いで縁起が良いことや、背中は黒くて腹は白いので「腹黒くない」などの意味が込められているそうだ。


2010年、要町駅近くの空き家の古民家を紹介され、そこを修理して事務所兼ショールームとして地域に開くことに。

しかし大工という仕事柄、日中はほぼ無人の状態。地域に開くため「なんてんcafe」というカフェとして営業することで、地域に居場所と雇用を生んだ。



鯰組のコンセプトは「大工」の定義を変えていくこと。

その結果、より「職人的に」なっていき遠方での仕事が増え、普通の工務店のような地域密着ではなくなっていっている側面もあるようだ。



【ものづくりと地域にひらくということ】

後半は会場とのグループディスカッション。

今回も近所の方、大学生、これから地域で何かしようとしている若者、造園家の方などバリエーションに富んだ。

一つ共通する質疑としてものづくりということと場を地域に開くということがなぜ結びついてのかという本質的なテーマが出てきた。


岸本さんの答えはこうだ。

田中文男の元にいた際、やはりそこでの仕事は棟梁一人のつながりのみでほぼ成り立っていた。つまり棟梁が他界などしてしまうとつながりもついえ一代限りになってしまう、と。

棟梁がいなくなっても続くネットワークを作りたい、そんな要請が「地域に場を開く」につながっているという。


これは11-1studioのコンセプトにも共通するところがあるので、とても共感する部分が多かった。



【広場(こうば)をどう開くか】

そして今回の本題である「広場(こうば)」の活用方法の妄想会議。

「広場(こうば)」とは板橋区東坂下のタニタハウジングウェア社屋の中の一棟、空き建屋に入居した鯰組の下小屋と事務所である。

ただ賃料を払って借りるだけでなく、そこを地域に開いた場として何かやっていきたいということで「広場(こうば)」との名称になった。

当初は照明を工夫して一夜限りのbar「工bar」を開催したりしたものの、コロナ禍もあってあまり開けてないようだ。


雨を降らせる装置を活用して雨のシーン専用のPV撮影スタジオとしてつかう、レクチャーとかシェア工房とかにする、社屋の屋上が花火大会の特等席かもしれないからビアガーデンをやる、樋で流しそうめんをする、など自由にユーモアのある意見が飛び交った。


Googlemapの鳥瞰写真を見て谷田さんが一言、「昔は高価な銅製雨樋をここで製造していた。四周を囲う高い塀は盗難防止のための名残だった。」と。

ならば「広場(こうば)」の道との塀を撤去して出入りできるスペースにすれば公園の隣の開かれた場になるのでは、公園側も開けば公園との関係も生まれるのでは、といろいろな妄想が浮かぶ。




次回の妄想会議は是非「広場(こうば)」にて、と閉幕した今回の井戸端会議。

一週間後には谷田さん・岸本さんで話し合ってこんなスケッチが送られてくる。


(絵:岸本 耕)


このスピード感、何か生まれそうである。


(文責:砂越 陽介/11-1studio)

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