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016. (旧)双扶産業

南町の旧アイロン台工場作業場

アイロン台というものをご存知だろうか。アイロンをかけるときに下敷きとして用いる台で、古くは木で作られていて、シャツの袖やズボンの裾など、部位ごとに色々な形があった。その形から「馬」、もしくは「プレス台」と呼ばれていた。


町工場が点在する谷端川の境橋界隈、(旧)双扶産業もクリーニング機械の修理・販売を行う工場だった。そしてその前身は天馬製作所といい、その名の通りアイロン台を製造していた。


創業者は西田武彦氏。

津軽の宮大工一家の次男として生まれ上京。文京区音羽にて昭和33年(1958年)天馬製作所を立ち上げた。クリーニング屋という業種に需要を見出した。


音羽の工場は、住居部分と工場部分が別棟で崖沿いにあった。しかし同じく昭和33年の狩野川台風、この際の崖崩れにより住居部分が喪失。家族は幾度かの移転を余儀なくされる。そして豊島区と板橋区の境であるこの街、板橋区南町へ来て、双扶産業と社名を改める。



プレス台・プレス機そして技術戦争

アイロン台も当時は発明品だった。スチームアイロンの蒸気を処理するため、裏側の構造や機構に工夫を凝らし、特許を取得していった。

【ものがあまり無い時代→新しいものを作る→真似されないように特許を取る】 これは同時代的な技術競争、いや技術戦争だったのかもしれない。

時代を追うにつれて、手作業のアイロン台(プレス台)は動力作業のプレス機も。

またそれだけでなく、クリーニング返却時にYシャツの襟に入れる「カラーホルダー」と呼ばれる型紙も武彦氏の発明品だ。





アイロン台は木工と縫製の合作物。

縫製を担当していたのは妻の君江さん(現在92歳)。 当時から使用していた動力ミシンも未だ現役。

木工具の方も、音羽の工場時代からのものも含め未だ現役で、1F旧作業場に残されている。






11-1Studioへ

この場所を活かし、地域拠点のような場所を作るべく、11-1Studioのプロジェクトを起動した。

進行は引き続き、この11-1Studioのサイトにて。

To be continue.

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