top of page

022.タニタハウジングウェア

雨のみちをデザインする会社

新河岸川沿いに大規模な工場や倉庫が並ぶ板橋区坂下の一角、「タニタ」とレトロな赤文字が浮かぶ。

タニタハウジングウェアは国内有数の雨といメーカー。あのヘルスメーターやタニタ食堂でおなじみタニタの兄弟企業である。(タニタは板橋区前野町。)

共に創業者は谷田五八士(タニダ イワジ)氏。板金を扱う金属加工から始まり、1923年にはシガレットケースなどを製造する谷田賀良倶商店を創業。

主に大手メーカーのOEMを受託していたが、OEMでは経営が安定しないということで自社ブランドの製造を始めた。

当時まだ日本になかった健康測定器具を「ヘルスメーター」と名づけ、その製造を行う会社が現在のタニタとなる。

また同じく、同じ板金の技術を使った自社ブランドの雨といを製造する会社を立ち上げ、それが現在のタニタハウジングウェアとなっている。


材質の変遷

当初の雨といは銅製が主で、タニタハウジングウェアでの最初の主力製品も銅製雨といだった。

まだ板金職人さんが現場で雨といを手作りしていた時代だったが、その板金屋さんをメインターゲットとして工場製品の雨といを売り込んだ。

しかし伝統的な住宅形式で使用された銅製雨といは、次第に新しい住宅形式では使用されなくなっていき、同時に会社の売上も下火となっていった。


そこでSUSおよびガルバリウム鋼板などの新素材を導入していく。

ガルバリウムは当時硬すぎて普通の板金加工の機械での加工が難しかったが、自動車業界で使われ始めた柔らかいガルバリウムを導入した。

現在ではすっかり一般的となったガルバリウム雨といも、こうした技術革新によって生まれたのである。


ものづくりベースからものの価値ベースへ

谷田 泰 氏が三代目社長に就任したのは38歳の時。

その前は大手ハウスメーカー住友林業の営業として働いていた。

ハウスメーカーであれば雨樋は多く使われる。しかしそこに多用されていたのはより安価な塩ビ製雨といで、タニタの銅製や鋼製雨といはほとんど無かった。

「うちの雨といは、一体誰が買っているんだろう?」

そう思ったという。


社長に就任してから、各地の営業所を回り古参社員の話を聞いて回ったが、入ってくるのは一概に過去を羨むと共に業界の今後にあまり期待できないとの話題。残念に思った。

そして、これからは「ものづくりベース」ではなく「ものの価値ベース」への転換が必要だ、との結論に至る。



それまではハウスメーカーをメインターゲットとした営業だったのを、工務店や建築家に切り替え。

雨のみちをデザインする」という新しいコンセプトを掲げ、「雨が降りたくなる家、とはどのような家か」をひたすら追求する。


住宅建築家の伊礼智 氏との製品共同開発なども行い、そこで出たのは「半製品」の必要性。つまり全てをメーカー側がデザインしすぎたことで融通が効きづらい「製品」ではなく、シンプルで汎用性があってその使い方をデザイナーが決められるような「半製品」である。

具体的には◯△□という雨といの基本形状に立ち戻った、非常に削ぎ落としたデザイン。

見た目に余分な溝の無い箱といは、一見簡単に見えて、実は折り目がないことで強度が出し辛かったり、輸送時に重ねられなかったりと、作り手側にとっては苦労の結晶だそう。

しかしそれを使用するデザイナー側からすると、ありそうで無かった、非常にありがたい製品なのである。


新しい製造の現場との共存

かつて同じ敷地内にあった製造工場は秋田に移転し、空き部分は物流などのテナントとして貸しているという。

そんなテナントの一つ、鉄骨倉庫の入口に「広場(こうば)」と「鯰組」の文字が。

入ってみると、木工のあらゆる機材が並ぶ木工所が広がっていた。一角には最新のCNCマシン、Shopbotも。

鯰組」は今日では珍しい現代の大工集団であり、かつての拠点は要町にあったが、その加工場は数年前からこのタニタハウジングの一角に入居しているという。


何かを「創る」となった時、パっと作ってその場でフィードバックが得られる環境。

現状ではまだそこまでの連携があるわけでは無いらしいが、本来板金の工場に現役の木工の工場が入ってメーカーと協業していく、何かそんな大きな可能性を感じる共存だと思った。


文責:砂越 陽介/11-1studio

bottom of page